岡山市北区
(1988年1月訪問 95,09年再訪)

【造山古墳群】
造山古墳他6基、全て国史跡

千足古墳(2009年10月10日発掘時の石室写真)
_1:開口部から見た石室内部
  デジカメの調子が悪く色がおかしくなっている
_2:緻密な小口積み奥壁
_3:天井石
_4:右側壁
_5:左側壁
  ストロボだと色はおかしくはない
_6:石槨手前右側
_7:〃左側
_8:石障の線刻壁画、下部が消えている
  上面に線刻があるが撮ってなかった
_9:左側拡大
_10:〃ストロボ無し
_11:右側拡大
_12:〃ストロボ無し
_13:板石を使った玄門、閉塞石が残る
  手前石障にU字状の彫り込みがある

古墳群立体模型:現地にある。前方部の切断の様子がよくわかる

造山古墳
 前方後円墳、TL350,R200,FW215,RH24
 位置:34°40′14″N 133°48′25″E (日本測地系)
    34.673782 133.80429418(世界測地系)
(95年)
_2:6号墳からの眺め、88年_4と同じアングル
_3:前方部から後円部
  とにかくだだっ広い、後円部が遙か彼方に見える
  高松城攻めの時陣地が設けられて改変されている
_4:後円部から前方部、88年に比べてだいぶ整備
_5:北側にある庚申山からの遠望
(88年)
_1:南東からの眺め
  赤い重機がある辺りが多分駐車場工事中
_2:前方部から後円部
_3:後円部から前方部
  この頃はまだ整備されていない
_4:6号からの眺め、右に造山前方部正面、左に榊山古墳の乗った残丘

造山古墳石棺
(95年)
_1:前方部上の石棺
  阿蘇凝灰岩製、造山古墳から出土したかどうかは不明
(09年)
_2:覆い屋が架けられていた
_3:小口部にも彫り込みがある
  組合式を模したんだろうか
_4:内部には石枕
_5:家形蓋石の一部が残る
_6:内側の刳り貫き状態
  水銀朱もはっきり残っている
_7:線刻があったけど漢字のような感じ

1号(榊山古墳)
 円墳、R40
(95年)
_1:馬形帯鈎の出土で有名
(88年)
_1:手前に造山古墳前方部周溝がある

2号
 円墳
(95年)
_1:1号の北側麓、一段下にある
_2:下側から
_3:上側から
_4:後方に3号(右)、4号(中央奥)
(88年)
_1

3号
 円墳
(95年)
_1:西側から
_2:上側から
_3:北西から、後方に4号、一段上なのがわかる
_4:後方に3号(右)、4号(中央奥)
(88年)
_1:これも一段下にある、後方に2号

4号
 円墳
(95年)
_1:88年_1と同じアングル
_2:上と反対側から
_3
_4
_5:左4号、右3号
(88年)
_1:造山前方部から

5号(千足古墳)
 前方後円墳、TL74,R56,FW24,RH18,FH3
 装飾竪穴式石室
 (23年墳丘復元、石室公開)
 位置:34°40′01″N 133°48′16″E (日本測地系)
    34.67017125 133.80179471(世界測地系)
(95年)
_1:88年_1と同じアングル
_2:これも造山前方部から
_3:これは4号辺りからかな、手前左に前方部
_4:88年_2と同アングル
_5:当時使っていた川崎KSRU
  手前の前方部の存在は殆どわからない
_6:西側からの眺め
_7:後円部から前方部、すっかり畑になっていた
  後方に4号
(88年)
_1:造山前方部からの眺め
  墳頂標柱が立っている辺りに水没石室が見えていた
  フィルム時代ではあの様子は撮れなかった
_2:更に近寄って、このアングルで撮っているのが多い

6号
 円墳
(95年)
_1:少し離れた山側斜面にある
_2:斜面を削って作った様子がよくわかる
  後方に千足古墳墳頂に立っていた標柱が見えている
  更に遠方に造山古墳



inserted by FC2 system