(山口市)
(21年)
兜山古墳
山口市秋穂二島、標高30mの丘頂きに築かれた円墳です。今は
細長い半島になっていますがかっては島だったんでしょうね、古
墳時代がどうだったかは分かりませんが。北側から細い道を通っ
ていくと200m先の案内表示、そこを北に行くと入り口にかん
たんな説明板、そこから80m程歩くと古墳があります。この時
は周囲が伐採され墳丘の様子がよくわかり葺石もあるようです。
墳頂に箱式石棺蓋石が露出、かっては1枚石だったようですが2
枚に割れています。隙間から石棺の身が見えていますが隙間が狭
くカメラは突っ込めず。石棺は内法長1.5、幅0.3m、蓋石
に比べて幅が随分狭い。若い女性人骨が出土したそうですが副葬
品は内部に獣文鏡、外から鉄剣や鉄斧等が出土したそうですが若
い女性とはそぐわない。手前にも小型の箱式石棺が2基露出して
います。眺望が大変良く西側の山口湾を望める絶好の場所です。
事前にストリートビューで調べた時は入り口まで通っておらず道
も狭いので手前にあった案内表示の所にスペースが有ったのでそ
こに停めて歩いていきましたがなんと古墳のすぐ手前に駐車場が
出来ていました。でも入り口からそこまで70m、駐車場も含め
て未舗装で滑りやすそうです。北に周防大橋、西にキララドーム
が見られ隠れた眺望ポイントになりそうだから砂利くらい敷いて
ほしい。

雄島古墳
山口市秋穂二島、南若川河口辺りにある小丘上に築かれた円墳で
す。小丘は長さ50m、標高8m、ここも島だったでしょうね。
上は平坦になっていて径12mの背は低いがハッキリした墳丘が
残っていて側に石製の祠が祀られています。横穴石室だそうです
が埋め戻され破片らしき石材が2,3個見られる程度です。東西
や南側には平坦面があるのに何故か余裕のない北向きに開口して
いたそうです。現在も北側河口に雌島という島がありそこを意識
して造られたんでしょうね。この丘と雄島と合わせて二島と呼ん
でいたそうです。雌島にも神社がありますが周りが急傾斜であち
らに古墳を造るのは難しそう。渡ってみたい。小丘脇に駐車スペー
スあり。

(16年)
浄福寺古墳
 山口市嘉川、県道335号沿いにある浄福寺境内にある古墳です。
 径40m,高5m県内有数の大型円墳で墳丘も良好に残っていま
 すが全体が樹林に覆われ(これが天然記念物)墳丘はよく見えま
 せん。上に神社があり頂部が平坦になっていますが5Cの古墳な
 のでこれは元々のようです。中途半端な場所に標柱が立っている
 だけで説明板がないなと思っていたら県道に面した寺入り口にあ
 りました。帰る時に見かけて慌てて引き返す。お寺の説明と一緒
 に書かれていたから古墳側と言う訳にはいかなかったんだろうな。
 南側に小公園があり駐車可。県史跡。

広沢寺古墳
 山口市黒川、山口JCT北側広沢寺境内にある古墳です。独立丘
 稜の泉香寺山南側斜面に立地。23年前にも来ていますが当時の
 写真を見るとまだ墳丘が見えていますが現在では樹木が成長して
 場所が分かりにくくなっています。しかも説明板や案内板が全く
 ない。本堂東側に墓地がありそちらに向かう右下斜面にあります。
 南側に開口、羨道は埋没していますが長さ4m程の玄室は一部補
 修があるもののほぼ完存、袖石を立てた両袖式ですが左袖は幅が
 僅かです。奥壁は1枚石、天井石も巨石2枚、左右の側壁も基部
 は2枚の巨石と玄室規模はそれ程大きくないですが巨石を使った
 石室です。旧山口市内で中に入れる石室は多分ここだけ。寺駐車
 場あり。

朝田墳墓群
 山口市吉敷、丘陵尾根筋先端にある墳墓群で国道9号線が通って
 いますが下にトンネルを通して保存されました。ただ墳墓群はこ
 こだけでなくもっと南側まで何群もあったようで他は消滅してい
 ます。弥生から古墳時代にかけての複合遺跡で弥生時代後期の箱
 式石棺墓13、石蓋土壙墓4、土壙墓12、壺棺墓4、方形台状
 墓1、古墳時代前期の周溝墓6、後期の竪穴系横口式石室墓1、
 墳丘を持つ横穴墓1からなります。現在は遺跡は全て埋め戻され
 墳丘は周溝などが復元展示されています。箱式石棺も幾つもあり
 ますがあれも復元なんでしょうかね。復元墳丘等の側には種類等
 を書かれた表示があるのですが番号が振られてないので後で写真
 を整理する時に不便。維新百年記念公園西側に弓道場がありその
 辺りから登っていけます。弓道場に駐車場あり。国史跡。

朝田墳墓群その2
 保存地区最上部から西側林の中に入って行けるようなので行って
 みました。平坦な尾根筋に墳丘が並んでいました。大小含めて6
 基程あったでしょうか。一番大きいので径10m高2m程度でし
 ょうか、頂部が窪んでいます。一番奥のは盗掘坑があってその形
 から横穴石室だったかもしれません。外のは低い高まりがある程
 度です。朝田墳墓群の中にも後期の古墳があるからそれと同じ古
 墳群かもしれません。帰ってから前回の記録を見てみるとここに
 も行ってた、すっかり忘れているわ。
 朝田墳墓群の発掘報告書を見るとここは第1地区内、保存地区か
 ら40m程離れていて別の支群のようで尾根筋と南側斜面に12
 基密集しているようです。朝田墳墓群は保存地区以外はほぼ全滅
 状態ですがここは元の状態で残っているようです。12号が最大
 ですがそれでも径13m、高2m,他は10m以下ですが大きな
 違いはないようです。

天神山古墳群
 山口市吉敷佐畑 5 丁目、良城小学校西方にある古墳群です。円墳
 6(竪穴石室1、横穴石室5)、箱式石棺1からなる古墳群です。
 ただ現状で見られるのは1,2号と箱式石棺だけで他は消滅かも
 しれません。長楽寺墓地西端にあるのが1号、墳丘裾に柵で閉じ
 られた横穴があり一見横穴石室のように見えますが内部を見てみ
 るとどう見ても現代の石積み、奥の方に石材が乱雑に置かれてい
 るように見えるのが竪穴石室かもしれません(後から資料を見て
 長1.81×0.5mの竪穴石室と分かる、説明板に書いていて
 ほしかったな)。入り口付近に置かれている説明板を見ると墳丘
 も半分くらい削られていたようで復元墳丘かもしれない。入り口
 側に大きな平石が置かれていて説明は何もないけどひょっとして
 竪穴石室の蓋石か。すぐ西側にあるのが2号ですが周りはすっか
 り藪で真冬でも近寄りづらい場所です。上部を失った横穴石室が
 あるようですが見当たらず埋め戻されたのでしょうか。ただ石室
 規模が羨道長0.8,幅0.6m,玄室長1.7,幅0.9mと
 非常に小型。墳丘のどの辺りにあったんでしょうね。更にすぐ西
 側に箱式石棺が蓋石を外された状態で展示されています。今回初
 めて見つけたと思ったけど23年前に来た時も見ているわ、全く
 記憶に無いな。1号側に駐車可。

赤妻古墳出土石棺
 古墳自体は消滅していますが山口市春日町の山口博物館敷地内に
 出土した石棺が保存されています。建物北側に刳抜式舟型石棺を
 展示、砂岩製で縄掛突起が蓋石4、身の小口部に1あります。多
 少割れている部分もありますが全体に良好、表面には削った跡も
 残っています。内部はかなり狭く大人一人が入るのがやっとでし
 ょうか。近くに箱式石棺がありますがこれも赤妻古墳から出土し
 たそうで舟型石棺に隣接して置かれていたそうです。分厚い板石
 を使った大きく重厚な箱式石棺です。その側にも別の場所から出
 土した弥生時代の箱式石棺が置かれています。博物館駐車場あり。
 後から別の遺跡から出土した箱式石棺群があるのを知る、でもわ
 ざわざ行くのもな、序でがあれば行ってみよ。

大内氷上古墳
 山口市大内御堀、氷上公民館北西の丘陵上にある前方後円墳です。
 南側麓を通る萩往還道路に案内板がありますがそこを曲がると道
 路が狭くて車では通れません。歩いていけばその後も案内が出て
 きますが一番肝心の丘への登り口に案内がないから大分手間取り
 ました。上り道途中にも幾つも案内がありますがほぼ1本道だか
 らそんなにいらないんですけどね。登り口側に小さな溜池と堤が
 あるのが目印となります。古墳は尾根先端を整形してつくった前
 方後円墳で全長28mと小型、墳形はよく残っていますが後円上
 部は削平を受けているかもしれません。竪穴石室が露出していま
 すが祭壇として利用され祠も置かれているのでかなり改変を受け
 ています。祠の左右背後は元の状態でしょうが墳丘規模の割には
 竪穴石室が長いような。祭壇に使われている石材も全て石室材の
 再使用と考えると多すぎるような。かといって下から全部運ぶに
 は大変すぎるしな。これは23年前にも探しにきましたが本に載
 っていた地図が全く違っていて見つけられず無事リベンジを果た
 すことが出来ました。日曜日で誰もいなかったので公民館に車を
 停めさせてもらいました。

大塚古墳群
 山口市大内長野、市民プール西方200mにある径30mの大型
 円墳です。丘陵から張り出す舌状尾根上に構築、周辺は田んぼで
 すが現在でもここが高まりになっている様子がよく分かります。
 大塚はその先端辺りに構築、尾根をカットした様子が一部水田の
 段差になって残っています。墳頂は広く平坦で大きな箱式石棺が
 出土し現在その石材を使った祠を見ることが出来ます。それを見
 るとかなり大きな石棺だったようです。近くの溝にも大きな平石
 がありましたがこれも大塚から出土したものでしょうか。周囲に
 4基の古墳があるそうで古墳群を形成しています。南東水田の中
 にあるのは裸の状態で確実(5号)、大塚西側民家敷地内にも2
 基、1基は確実ですがもう1基は若干?付き。側の道路ゼブラゾー
 ンに駐車可。

(07年)
大浦古墳群公園
 山口市江崎、県道212号側にある古墳公園で県道建設に伴い3
 群33基の古墳を発掘、うち6基の石室を移築して古墳公園とし
 て保存公開されました。道の駅あじすきららから小郡方面に向か
 っていたとき偶然発見しました。車の中からちらっと見ただけで
 石室がいっぱいあるのが見えている。すぐ案内表示があって測道
 におりその後も案内表示通りに行けばたどり着くことができます。
 駐車場有り。発掘されたのは大浦古墳群30基中の16基で1,
 2,12,14号移築、浦辺古墳群6基中の2基で1号移築、梅
 ヶ崎古墳群16基中の15基で2号移築。みな天井石を失ってい
 たようですが大浦4号は天井石も復元しているようで墳丘も復元
 しているようです。これが一番石室が大きいようで玄室長3mく
 らいかな。他に大浦1,2号が竪穴系横口式石室、大浦14号が
 複室石室です。公園ができたのは2001年のようですが6年立
 っても雑草が全く生えておらずゴミもなくてきれいな公園でした。
(旧阿知須町)

(07年)
丸塚古墳群
 1号
  以前2,4,5号を訪問しましたが山口市のHP(阿知須町は
  山口市と合併)を見ると1,3号も市の史跡になっているのを
  知り再訪してみました。まず5号を再訪、きらら博が開かれた
  りして周辺の道路は大きく変わっていましたがここは変わりな
  し。すぐ側の4号ももう少し離れていると思ったが接するほど
  の近さでしたね。記憶はあてになりません。3号は後回しにし
  て北に離れている1号を訪問、5号前の道路を北に800m程
  行くと(途中で2号の案内表示があるのでこれも再訪)十字路
  がありそこに1号の案内表示があります。ここから200m程
  北へ行くともう一つの案内表示がありそこから畑の奥林際に開
  口した石室が見えています。墳丘ははっきりしませんが複室石
  室が開口、羨道はごく一部しか残っておらず前室も前上部が欠
  けていますが他は良好玄室も完存しています。玄室は両袖式で
  長2.5m程とそれ程大きくないが奥壁は1枚石の巨石、両側
  の側壁も下部に奥壁に匹敵する巨石を据えています。左側側壁
  最前部に袖石に使えそうな柱状の石があるが特に意図した物で
  なく石材の有効利用でしょうか。案内板はあるけど説明板は無
  し。市史跡。

 3号
  5号の北側100m辺りにあるが実は山口市のHPの地図を見
  てこの辺りにあると勘違いしていた(HPでは1,2,5号は
  地図に載っているが3,4号は載っていない)。畑仕事をして
  いる地元の人に聞いてみたら1,2,5号は知っていたがこの
  辺りに他の古墳は無いという。ただその内の一人が最近山大の
  人が調査に来たなというのでそこに案内して貰ったら確かに石
  室がありました(帰ってから確認したら3号に間違いなかった
  )。新しい住宅の間から東に入っていった竹林の中、一応古墳
  の場所まで道がついてます。状態は5基の中では一番悪く石室
  が殆どむき出しになっていますが石室自体はそれ程でもないよ
  うです。開口部に袖石がないのではっきりしませんが幅が玄室
  とほぼ同じくらいなのでここも複室石室でしょうか。玄室は長
  2.2m、幅2m程、奥壁側壁とも切石状の大型の石を使った
  2段積み、表面もかなり平面に仕上げられ小さな石は殆ど使わ
  れておらず見事な石室です。右側の袖石に数列の溝が彫られて
  いて一見扉石を填め込む溝のように見えるが反対側の袖石には
  そのような物はなく自然の溝かも知れません。市史跡。

(01年)
丸塚古墳群
 町役場北方に丸塚山がありこの東側山麓にある7基からなる古墳
 群です。南側山麓に住宅街が建設されその片隅に5号墳がありま
 す。径13mの円墳で墳丘石室が復元され公開されています。南
 側に石室が開口、複室構造の横穴石室で羨道前室は下部しか残っ
 ていませんが玄室は完存しています。奥壁が墳丘の中心に位置し
 ていて初期の横穴石室墳の基本設計を忠実に残しているそうです。
 すぐ東側に4号墳があります。こちらも複室構造の石室で羨道は
 殆ど壊失していますが前室玄室はよく残っています。奥壁は巨大
 な1枚石、切石に近い石材を使い5号より新しそうです。石室も
 東向きに開口しています。ここから200m程北に行くと果樹園
 の中に2号墳が保存されています。径15mの円墳で墳丘は一番
 よく残っています。これも複室構造の石室ですが羨道は壊失、前
 室も前面が削平され一見すると普通の石室にしか見えません。石
 室下部に巨石を据え上に平石を重ねた玄室です。県内の古墳には
 珍しい排水溝を備えているそうです。町史跡。
 九州側もそうでしたが周防灘沿岸には複室構造の石室が多いです。
(旧阿東町)

(08年)
狐塚古墳
 阿東町徳佐、道の駅長門峡に石室の写真があったのでこれは行か
 なくちゃと思い場所が分からないので役所に行って聞き序でに鍵
 も借りました。役所北東600m県農業試験場(廃止)すぐ北側
 にあります。墳丘は裸の状態、多少は修復しているかも知れませ
 んが後円部が高く前方部が低平な全長33mの前方後円墳です。
 しかも県北部唯一の前方後円墳、そして県内に5基しかない横穴
 石室を持つ前方後円墳です。入り口部分は覆い屋を架けて保護、
 中に入ると羨道は多少破壊されているようですが玄室完存、奥壁
 はほぼ1枚石の巨石、側壁も殆ど持ち送りがなく一部切石状とか
 なり後期の石室のようです。それにしても古墳の少ない北部でい
 きなりこのような立派な石室を持つ前方後円墳が構築されるとは
 ね。多分史跡だと思うが説明板などは一切なし。

(旧徳地町)

(16年)
才谷古墳
 山口市徳地堀、中国自動車道徳地インターすぐ西側にある古墳で
 す。高速建設の際発掘され10m程移動して移築保存されました。
 上部を失った石室で全長6.5m,玄室長2.8m程度、丸みを
 帯びた河原石を使用、袖石を立てた両袖式です。羨道もよく残っ
 ていて羨道途中には閉塞石もあったようです。変わっているのは
 玄室左奥隅、外側に更に石組みがあります。説明板にはこの部分
 には何も触れられていませんがひょっとして長野県の石室などで
 時々見られる副室でしょうか。だとすれば副室の石積みが見られ
 る得難いものです。高速高架下の道路脇に案内表柱がありますが
 そこから100m程、でもこの標柱は水路の反対側に設置して欲
 しかった、分かるけどね。ちなみに読みは”さいだに”です。こ
 こは前から知っていたけど遠いし移築石室だしなかなか行けなか
 った、これでしょうもない石室だったらがっかりするとこだった
 けど案の定天井はなかったけど残り具合はよくまずまずの石室で
 した。高架下にゴミステーションがありそこに駐車可。移築なが
 ら市史跡。













































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