(旧徳山市)

(16年)
堂山古墳出土家形石棺
 周南市下上、神上神社(こうのうえじんじゃ)本殿脇に刳抜式家
 形石棺が蓋を外された状態で保存されています。露天に置かれ身
 の方は手水鉢として利用されているようですが欠けているところ
 もなく状態は良好です。大きさは150×72×60cm、内法
 120×46×25cm(測定値)、身の高さに比べて刳り貫き
 が浅い、長さも短く成人遺骸を入れるのは無理、子供でも難しそ
 うです。殯をして白骨状態になったのを入れたのでしょうか。蓋
 石は縄掛突起は全く無く尾根部分が平らになった切妻型、あまり
 見たことのない形式です。国道489号から神上神社に至る道は
 ほぼ直線ですが大変狭い。鳥居脇の道を入って行くと奥に駐車場
 あり。

内谷古墳
 周南市下上、丘陵上にある古墳です。北側谷筋を通る林道に案内
 表柱があり細い道を登って行きます。急な痕跡のような道でむし
 ろ帰りの方が滑りそうで怖い。丘陵頂部から突き出た尾根先端に
 構築、墳丘は殆ど流失し石室が露出しています。南に開口する席
 室は天井石は4枚ですが残っているのは最奥の1枚だけ、1枚は
 割れて玄室に落下、前の2枚はずり落ちて入り口を塞いでいます。
 入口側で平石の袖石が1枚見えています。玄室内部もやや埋まっ
 ていますが奥壁は3段積みでしょうか、中間の1枚がやや突き出
 ていますが石棚と言う程ではないでしょう。尾根先端に構築され
 るのはよくあることですがここが不思議なのは平野部がある西側
 でなく東側に伸びる尾根状にあること、周りも山がちで西側の平
 野部からはまず望めないでしょうね。単独で存在することもあり
 後期も終盤の古墳でしょうね。県遺跡地図では北側の丘一つ違う
 場所になっていましたが案内柱があって助かりました。遺跡地図
 の精度の悪さには困ったもんだ。標柱すぐ上方に駐車スペースあ
 り。

(06年)
向原古墳群
 同市久米、山陽道徳山東IC南側、下松市との境界辺りの小さな
 谷の中が新興住宅地になっていてその一番奥に水田がありその左
 手から竹林の中に入っていく道があります。3,4分上ると畑が
 ありその手前に標柱が立っています。1号はその右手竹林の中、
 墳丘は割と残っており羨道入り口は見えていませんが奥壁が壊さ
 れてここから中に入れます。両袖式で羨道は殆ど埋没、玄室も少
 し埋まっています。側の説明板に幅3mと書かれているがこれは
 どう見ても大きすぎせいぜい2m程度です。
 東側30mの所に2号墳があります。10m先の案内表示があっ
 て古墳はすぐ目の前なのだが斜面際、墳丘は流失し太い竹も密生
 していてちょっと分かりづらく危うく通り過ぎるところだった。
 南側に開口した石室は羨道入り口がかなり埋まっているが匍匐前
 進して中にはいると玄室は割と良好に残っています。玄室長6m
 程で1号より大きいがこちらは片袖式です。石材の隙間から僅か
 に光が漏れていてほんのり明るい。市史跡。
 古墳が目の前に見えているのに何十m先なんて案内表示があって、
 こんなんのいらねえよな、と思うときがありますがここは正真正
 銘必要だった。あの案内表示(これ自体見逃しそうだったけど)
 がなければ多分分からなかっただろう。
(旧新南陽市)

(20年)
永源山墳墓群
 周南市富田、永源山公園内に1基の円墳と2基の箱式石棺が保存
 されています。海岸近くの丘陵ですが海とは反対側の北斜面に分
 布、今も北側に国道2号が通っているので当時も交通の要衝だっ
 たのでしょうか。公園案内板にも載っていますがとにかく丘陵頂
 部にある風車を目指します。説明板が建っているので見逃すこと
 はないでしょう。最初に出会うのが北1号、箱式石棺が蓋石を外
 された状態で展示されています。公園開設前の昭和29年に土砂
 採取の際発見、内部に女性の人骨が完全な状態で入っていたそう
 です。歯が華奢で非労働階級層の女性だとか。更に北3,4号の
 案内表示があり登っていくと如何にも墳丘を思わせる高まりがあ
 ります、これが北4号、径18m高1.5mだそうですが尾根先
 端で実際より大きく見えます。最大の特徴は主体部が存在しない
 こと、破壊ではなく初めから無かったそうで、でも墳丘上で祭祀
 が行われた形跡はあったそうです、何があった。すぐ上に北3号、
 これも板石を使った箱式石棺で蓋石の一部が覆われた状態で展示
 されています。男性頭蓋骨が出土、栄養状態が悪くとくに鉄分不
 足だったとか。まさか本人も15,600年後に健康診断される
 とは思ってもなかっただろうな(笑)。説明板の写真を見ると蓋
 石はなく側板は複数枚からなっているが保存されているのを見る
 と1枚のよう、全体が復元かもしれません。北2号はあったかど
 うかも不明。県の遺跡地図を見ると丘陵全体が永源山墳墓群とな
 っているので他にまだあるかもです。公園駐車場が何ヶ所かあり。

(02年)
羽島古墳
 市営瀬の上団地東側の小独立丘陵上北側にある。墳丘ははっきり
 せず天井石を失った石室が露出している。玄室長3.6mの小さ
 な石室で内部に祠が祭られている。丘陵上に八八カ所巡りの石仏
 がありその一部として利用されているようだ。側の説明板に羽島
 1号墳とあるが多分他にはないようだ。市史跡。
(旧熊毛町)

(21年)
弁慶穴古墳
 周南市安田、三丘徳州公園内に移築された古墳です。元は熊毛北
 高校にありましたが山陽自動車道建設に伴いすぐ南側にあるこの
 場所に移されました。大型の石室で全長7m程(説明板に数字が
 書かれていないので全て目測)羨道は上部が失われていますが玄
 室完存、長3.5,幅2,高2.5m程で背が高い。奥壁は側壁
 と同様基部にやや大きな石材を据え上部は中型石材を重ねていま
 す。天井石は4枚ですが最奥のから手前にかけて1段づつ高くな
 り一番手前のはまだ2段くらい低くなっています。石材に数字が
 書かれていて移築感満載(笑)、他の移築石室でもよく見かけま
 すが後から消せないんでしょうか。床面には礫が敷かれ中央には
 排水溝があり羨道まで伸びています。玄室内のは何故かくねくね
 している。ただ前日は1日中雨が降ったせいでこの石室もかなり
 水浸し、移築後は排水の目的は機能してないようです。公園に駐
 車場有り。













































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