(20年)
井出山古墳群
 防府市真尾、丘陵中腹の開けた墓地の中に2基の石室墳がありま
 す。墓地下の入口辺りに観光協会の案内板があり墓地も大きくな
 いのでこれは楽勝かと思いましたがぱっとみた限りではまるで見
 当たらない、かなり急斜面なので墓地全体が見やすいんですけど
 ね。その内怪しい石材発見、でも端が直線的でこれは現代の石材
 かと思いましたがよく見るとその下側に開口していました。羨道
 は埋没しているが玄門上辺りが開口、しかも複室石室でした。石
 室があるのは分かっていたが中に入れるのがあるとは思わなかっ
 た、嬉しい誤算。玄室はそれ程大きくはなく前室とあまり変わら
 ない、でも奥壁は巨石1枚石で見応えがあります。もう1基は1
 0m程西側、墓石の傍らに開口していますが内部は殆ど埋没して
 います、これは分かりにくい。下の道路が狭いですが軽自動車が
 停められる程度のスペースが有る。

柴山古墳群
 防府市柴山、佐波川河口近くの独立丘稜柴山にある9基からなる
 古墳群ですが6基確認。1基を除いてほぼ石室下部しか残ってい
 ません、玄室長も2m程度と揃っている。丘陵東側が小丘陵にな
 っていて頂部辺りに1−3号がある。1号は頂部にあり南東向き
 で天井石が玄室内に落下、袖石が残っていて両袖式でしょうか、
 奥壁も2段積みのが残っているようだ。他と比べてこれだけが細
 長い玄室。直ぐ側に2号、こちらは南西向き、両袖式石室下部が
 残っているがこれで特筆するのは玄門に2段に積まれて閉塞石が
 多分当時のままの状態で残っていることです。もう閉塞石という
 より扉ですね。2号に接して3号があるが石積みなのか石が葺か
 れているのか、石室の様子はよく分かりません。北側に階段があ
 ったので降りていったら麓に案内表示がありました(ここに駐車
 スペースあり)。古墳公園となっているようですが名前は旦山古
 墳公園となっている。勿論これが分かったのは登った後、最初は
 南側から送信アンテナの場所まで道があるからそこまでいって後
 は直登、古い竹林で倒れた竹もあって歩きにくく往生しました。
 西側頂部と尾根筋に4−6号がある。中腹に墓地があってその奥
 に案内板があります(せめて墓地の入り口に設置してくれ、墓地
 そのものも場所がわかりにくい)。案内板は多分これだけ、そこ
 から荒れた急な山道を登っていくと5号があります、基部だけ残
 っていて袖石を立てた両袖式、片方の袖石は四角くまるで切石の
 よう、直ぐ側に6号、急斜面に立地しているので羨道は完全に壊
 失しているが玄室は前部天井石が無くなっている他は良く残って
 います。立柱石を立てた両袖式、巨石ほぼ1枚石の奥壁、最奥の
 天井石が残っています。玄室長は2m程度しかありませんが奥壁
 が巨石なので大きく見えます。更に登っていくと最高所手前の平
 坦面に4号、ここも基部だけど羨道も残っています、これもやは
 り両袖式。ここも古墳公園のようですが整備された道はなく見晴
 らしがいいわけでもなく余程の古墳好きじゃないと来ないと思う
 ぞ。6基の立地場所が頂部や尾根筋だったので残る3基も稜線な
 どを探してみたのですが見つからなかった。

(16年)
向山古墳群
 防府市佐野、玉祖小学校西側丘陵南側斜面に分布する9基からな
 る古墳群で4基消滅、2−6号が現存しています。明照寺前の登
 り口の所に説明板があり分布図も載っていますが案内があるので
 これを見なくても訪問できます。一番上の墓地を過ぎた辺りに5,
 6号の案内板があるので(前回は無かったような)林の中に50
 m程入って行くと5,6号の墳丘があります。5号は尾根状の地
 形を整形して造ったようで下から見ると大きいが上から見ると低
 い墳丘に見えます。頂部は平坦で天井石が露出、1枚外されてい
 てそこに柵を設けて閉じられています。持ち上げると内部を見る
 ことが出来ますが背が高く持ち送りのある石室なので入るのは無
 理、玄室自体は保存状態はよさそうで両袖式の玄門も見えていま
 す。複室石室だそうです。本来の羨道入り口は石材が転がってい
 る程度で完全に埋没。すぐ下にあるのが6号で5号と同規模の墳
 丘、ここも頂部は平坦ですが石材は全く見られません。元の道路
 に戻って少し登ると3号の案内板、林の中を20m程行くと古墳
 が見えます。墳丘自体はよく残っていますが墳頂部が盗掘で大き
 く凹んでいるが石材は全く見られず。狸の巣穴と思われる穴内部
 に僅かに石材が見えています。ここも複室石室だそうです。2,
 4号は道路沿いにある石室で下部しか残っていません。これは共
 に単室石室です。
 14年ぶりの再訪、前回はフィルムの時代だったのでデジカメで
 撮り直してきました。前回見られなかった5,6号も見られて再
 訪にも意義があるな。山上に駐車場あり。3号だけ市史跡。

二六台古墳
 向山古墳群から更に登って行くと山上に広い広場があります。こ
 の東側片隅に近くで出土した箱式石棺が移築保存されています。
 祠があってその土台となっていますが箱式石棺と言うには違和感
 ムンムン、単に石棺材を使ったというだけで忠実な復元ではない
 かもしれません。

大日古墳
 防府市高井、防府病院西側100m墓地の中にある古墳です。東
 西に主軸を伸ばす全長40mの前方後円墳、後円部は樹木に覆わ
 れ前方部は墓地になっていますが墳形は割と残っています。前方
 部山側に細長い池がありますが周溝跡でしょうか、ただ後円部側
 にはそれらしいのは見えません。後円部南側に石室開口、全長1
 3m県内最長の横穴石室で羨道玄室とも良好に残っています。羨
 道玄室とも巨石が使われていますが羨道は規模の割に背が低く真
 直ぐ立つと頭がつかえる状態です。玄室は両袖式ですが袖石はな
 く側壁の厚みがそのまま袖になっています。まぐさ石は分厚く量
 感のある巨石、奥壁は3段積み、側壁も2,3段で上部がやや内
 傾し奈良の岩屋式石室だそうです。天井も1枚でこれもすこぶる
 の巨石。玄室中央に鎮座しているのが県内唯一の石室内に残る刳
 抜式家形石棺で凝灰岩製、蓋石が若干ずれているようですが破壊
 の様子は全く無く屋根の稜線部分はまるで造ったばかりのような
 鋭さがあり6個ある縄掛突起は四角く重厚です。しかし羨道の断
 面を考えるとこれを入れるのは大変だったろうな。説明板西側に
 小さな駐車スペースあり。国史跡。

多々良寺山古墳
 防府市東佐波令、防府競輪場北側丘陵上にある14基からなる古
 墳群です。駐車場の中に古墳が保存されているということなので
 行ってみました。衛星写真で見てみると北側駐車場にあるような
 感じなので行ってみましたが全然違ってた。下の駐車場で車の整
 理をしている人に聞いてみたが知らないとのこと、もう一人の方
 に聞いてみたらそう言えばそれらしいのがあるなと言うので行っ
 てみたら確かにありました。東側の2号駐車場でその中に島状に
 残されていました。衛星写真で見た時は南側Pは見たけどこちら
 までは見てなかったな(後で見てみたら確かに写ってる)。一番
 奥まった場所で知らないとまず辿りつけないような駐車場なんで
 すよ。それはともかく周りは擁壁に囲まれていますが一部見学用
 の階段が付いています。上部に石室露出、良好に残っているのは
 後部だけで天井石2枚残存、奥壁は鏡石+平石です。1基でも見
 つかれば当然周辺の捜索、東側では見つかりませんでしたが西側
 で1基見つけました。これも後部しか残っていませんが背が高く
 奥壁は巨石1枚石、天井石1枚残存です。更に上の方で3基、2
 基は残骸状態ですが1基は細長い石室で前部は崩れ気味ですが奥
 壁が何とか見えています。岩がゴロゴロしていて墳丘を思わせる
 高まりがあったりして探すのは難しいです。駐車場は無料。
 ここは前から知ってはいたが競輪場駐車場というのは敷居が高い
 (笑)、のでつい後回しにしていました。でも駐車場の1基だけ
 でなく他にも見つかったから良しとしよう。

岩鼻古墳
 防府市岩鼻2丁目、畑などがある住宅地の中にある古墳で緩斜面
 に立地しています。墳丘石室とも良好、南向きの石室は全長9m、
 県内でも有数の規模です。長い羨道も石材は大きですが玄室は更
 に巨石が使われています。奥壁はほぼ巨石1枚石で上部が丸くな
 り全国的に見ても屈指のカッコ良さだと個人的には思う(笑)。
 天井石は2枚、左右の側壁は基本3段積みで持ち送りは殆どあり
 ません。玄門は柱状袖石を立てた両袖式、上部のまぐさ石もすこ
 ぶる巨石です。しきみ石もありますが後世の物の可能性もあるか
 な。ここに来るまでの道は大変狭い。西側に僅かに駐車スペース
 あり。

鋳物師大師塚古墳
 防府市鋳物師町、市街地の中に保存されている古墳です。鋳物師
 会館の背後なのでこの建物が目印になるのですがこれがまた地味
 な建物ですからね。カーナビで案内してもらうなら問題無いです
 が問題は駐車場所、会館敷地内に3,4台分の駐車場所がありま
 すが番号を書いた札があったからひょっとして契約駐車場かも。
 なので一度訪問していることもあり超特急で写真を撮って撤退し
 ました。

鋳物師車塚古墳
 防府市車塚町、こちらも市街地の中にある古墳で天御中主神社境
 内にあります。東西を主軸とする前方後円墳で墳形は割と残って
 いますがくびれ部が本殿で大きく抉られています。後円部と前方
 部それぞれに複室石室があります。後円部のは前に社殿があり金
 網越しに内部を見学できますが網目が細かくて撮影困難、奥にも
 祠があるようで石室そのものが社殿として使われているようです。
 頂部に天井石の一部が露出していますがかなりの巨石です。前方
 部のは開口していますが玄室はやはり金網越しに見学、内部は天
 井石や側壁が傾き一部崩壊しているなどかなり危険な状態です。
 ここは鋳物師町ではないし普通に車塚古墳で良さそう、実際説明
 板では車塚古墳となっています。神社に駐車場はなさそうです。

岩淵古墳
 防府市台道、防府西高校北西水田段差部にある古墳です。地形図
 を見ると丘陵麓辺りに立地しているようです。現在は全体が樹木
 に覆われていますが東側から寄って行くといかにもここから入っ
 ていけるぞといった所がありそこから入るとすぐ石室があります。
 南向きに開口、羨道部分は殆ど壊失しているようで土嚢が積まれ
 ていますが玄門はかなり狭いがなんとか入れる。玄室は3.0×
 1.8m程の大きさ、天井石が一部傾いていますが概ね良好、側
 壁は基部に大型石材を据え上部は小型石材を持ち送りにしていま
 す。奥壁もほぼ同様で四角い鏡石を据え右と上に平石、後は小型
 石材を積み上げています。玄門は両袖式ですが袖石は柱状石の上
 に平石を重ね平石のまぐさ石を置いています。左袖は更に平石を
 積んで幅を広げています。竪穴系横口式石室だそうですがまさか
 入れる程の石室が残っているとは思わずラッキー。ただ現状の墳
 丘を見ると石室の位置がかなり偏っているので元の墳丘はもっと
 大きかったようです。そうなると墳丘規模に比べて石室が大分小
 さくなってしまいますが。
 ここは防府西校北西という情報しかなかったのですが衛星写真を
 見てみるともうここしかないと言った状況でした。石室も良好に
 残っていて満足、県内では完存状態の石室なんて少ないからな。

黒山古墳群
 防府市西浦、独立丘陵黒山に分布する古墳群です。14年ぶりの
 再訪、案内図のあった玉祖神社に行こうと思いましたが途中の集
 落内の道が狭くて断念、西側にある和立海神社に行ったらここに
 も案内図がありました。石段を登って行くと神社があり本殿脇に
 3号の案内板があります。そこからすぐ、石室がすっかり露出し
 ていますが玄室だけでなく羨道天井石までしっかり残っています。
 ただ入り口は殆ど埋まっているので天井隙間から入ることになり
 ますが中途半端な狭さなので入るのはちと一苦労です。背の高い
 玄室は良好に残り袖石を立てた両袖式、側壁はやや持ち送り奥壁
 は巨石の鏡石を据え上に平石を重ねている。石室は殆ど露出して
 いますが背後から見ると墳丘は結構残っています。2号は本殿前
 の鳥居脇の側溝沿いの道を行くと右に擁壁がある辺りに案内板が
 あります(この道をそのまま進むと玉祖神社に至ります)。初め
 は多少踏み分け道がありますが殆どはシダがビッシリ生えて進む
 のが困難、常緑性のコシダだから冬場でも厄介でも強行突破する
 しか無い。なんとかたどり着くとここも天井石が露出した古墳が
 現れます。ここも羨道埋没玄室側壁隙間から何とか中に入れる、
 土砂が流入しているので足がつきます。3号より一回り小さいで
 すがそれでもなかなかの大きさ、奥壁は巨石鏡石+平石です。玄
 門はかなり埋まっているが両袖式かな。14年前の写真と見比べ
 ると石室周辺もすっかりシダが茂っていて見学しにくくなってい
 ます。ここに3号への案内板もありますが殆どシダの藪で痕跡道
 もないような状態です。2号下の道を通って玉祖神社へ、ここに
 5号の案内板もありますが個人敷地内です。墳丘は殆ど埋められ
 ていますが石室自体ははよく残っています。1号の案内板もある
 ので丘を登っていきます。尾根先端に構築された古墳で墳丘らし
 い高まりがあり上に祠が建っています。江戸時代に箱式石棺が出
 土、人骨鏡管玉勾玉が出土した5Cの古墳で県内でも有数の古さ
 です。時代も立地も埋葬施設も外の古墳とは一線を画し同じ古墳
 群とは言えないでしょうね。前回もここに来ているけどフィルム
 時代の故小さな高まり程度の墳丘では写真は撮れなかったよ。黒
 山山頂経由で和立海神社に遊歩道が続いているのですが山頂から
 先はもう藪状態なので一度下に降りて戻ったほうが良さそうです。
 どちらの神社も駐車場あり、分かりにくいけどね。

女山古墳群
 防府市西浦、独立丘陵女山に分布する古墳群です。東側麓近く華
 西中学校北側に墓地がありその中に2基あります。墓地に入ると
 すぐ目に入るのが3号、前部は大きく破壊され後部が残っている。
 奥壁は小型ながらも1枚石。内部には江戸時代かと思われる古い
 墓石が幾つも入っています。もう一つの4号は何処だと少々探し
 まわる、南側50mの所にありました。こちら小型の石室が残っ
 ている。側壁の厚みがそのまま袖になっているところを見ると残
 っているのはほぼ玄室でかなり小型のようです。他にもあるかな
 と周辺の山林を探してみましたが見つからず。この辺の山では普
 通ですが石材がゴロゴロしていてややこしい。墓地の登り口は東
 側にあり石仏が立っている。

脇古墳
 防府市富海、国津姫神社北東300mにある古墳です。田んぼの
 中に石室石材が露出しているとの上方を得、脇という地名がそれ
 程広くないので現地に行って人に聞けば分かるだろうと思って行
 ったのですが・・・民家は多くあるのに全然人に出会わない(汗
 )。冬場故農作業をしている人もいなく、結局歩きまわって何と
 か探し当てることが出来ました。田圃と道の段差部分に石室露出、
 墳丘は殆ど流失しています。内部も殆ど埋没しているのが残念。
 天井石2枚残存、石室前部は元の状態のようですが後部は天井が
 落下し破壊が著しい。板石(流紋岩か)を使った巨石奥壁も何と
 か立った状態で残っていますが石室規模の割には小さく上にもあ
 ったのかもしれません。事前に思っていたより石室らしい姿が残
 っていました。衛星写真で見るとギリギリ石室の様子が写ってい
 ますがこれでは事前には分からないだろうな、実際何度も探して
 みたのですが分かりませんでした。

大内古墳群
 防府市江泊、東西の支群に別れ十数基からなる古墳群ですが現状
 や分布の状況が全くわからなかったけど検索してみると石室正面
 の写真があったのでそれではと行ってみました。まずは東側を探
 してみたが全く見つからず。こりゃ駄目だと諦めつつ西側を探し
 てみると駐車場所から山の方林際に天井石らしいものが見えてい
 たのでひょっとしてと思って行ってみたらビンゴでした。石室後
 部しか残っていない状態でしたが間口が広く2.2mもあります。
 左右の側壁も巨石2枚ずつ残存、奥壁も1枚石ですが周囲の詰石
 はなくなっていて隙間があります。天井石も巨石1枚石でこの状
 態で倒れずよく残っていたなと感心。ネットで見つけていた石室
 とは明らかに違うので周辺を探してみましたが見つからず。でも
 1基だけでも見つかってよかったよかった。南側鳥居のある祠周
 囲に駐車可。

(02年)

鋳物師車塚古墳
 防府駅東400m、市街地のど真ん中にある前方後円墳です。く
 びれ部南側に神社がありそのおかげで保存されたのでしょうが墳
 丘もかなり改変されている。西側が前方部でしょうか石室が開口、
 羨道はかなり壊失していますが複室石室のようです。玄室天井石
 がかなり傾いていて危険な状態、直上の墳丘も囲いがして立入禁
 止になってます。東側にも社殿があり奥に金網がはっている。な
 んだろうと覗いてみると石室があった。複室構造の石室で植物の
 根がかなり進入しているがこちらの方が状態もよく立派みたいだ。
 市史跡。

鋳物師大師塚古墳
 車塚南東400m、鋳物師会館の裏にあるというのですぐ分かる
 だろうと思ったがなかなか見つからない。やっと見つけた会館は
 なんと平屋建ての建物、ビルかと思ってたんだよ (^^;)。裏に墳
 丘があるが墓地や駐車場ですっかり浸食され東側で石室が露出し
 ている。南側に石室が開口、背の高い複室石室ですが羨道はかな
 り破壊されている。玄室には石仏が祭られ今でも近所の人が花を
 添えるなどしっかり守られている。写真を撮るには少々邪魔にな
 るけどヾ (^^;) このおかげで保存されたかと思うと致し方ないで
 すね。市史跡。

岩畠古墳
 「日本の古代遺跡(山口)」の地図に載っていた場所を探してみ
 たが見つからず一度は諦めた。公園になっている周防国府跡に行
 ってみるとそこの説明板に地図がありしっかり載っていた、ラッ
 キー。もう一度行ってみたら最初探した場所より200m程西側
 だが場合によってはこの程度離れていても見つからないことがあ
 るんだよね。しかも本墳は市内最大級の石室墳で保存状態もよく、
 見つけていなければ後で後悔するとこだった (^。^;)ホッ!。それに
 してもこれ程の古墳が史跡指定されてないのが不思議です。

黒山古墳群
 当時は島だったんでしょうか、海岸近くの黒山南側にある古墳群
 です。ほぼ中央辺りにある玉祖神社の鳥居脇に案内表示があり割
 と簡単に行くことができます。1号は県内最古クラスの箱式石棺
 で明治時代に人骨などが出土していますが現在は埋め戻され説明
 板と祠があるだけです。他は後期の石室墳、2,3号はすっかり
 石室が露出しています。5号は民家の敷地内にあります。家の方
 の話では家を建て替えたとき墳丘を埋めたそうです。幸い中には
 いることはできます。庭石として使っている巨石も4号墳の石室
 石材を使っているそうです。庭石を得るために破壊したわけでは
 ないんですけどね。

惣社古墳
 これも国府跡の説明板に載っていたもの。現地に行ってみたら民
 家(会社?)の門の内側に観光協会が立てた表示板があったがな
 んの説明もなく古墳自体もそこからは見ることができない。なん
 のために立てているんだか。どのように古墳にたどり着いたかは
 ちと内緒ヾ (^^;)、敷地に入り込んだわけではないが。

大日古墳
 防府病院の北側にあるというので簡単に見つかると思ったが病棟
 を間違えたおかげで以外と手間取った(後でわかったのだがこの
 時前方部に上がっていたのだが気づかなかった ^^;)。古墳は墓
 地の中にあるが後円部は藪に覆われ前方部も墓地があり前方後円
 墳とはわかりにくい。後円部南側に石室が開口、玄室内にある凝
 灰岩制家形石棺は県内で唯一残存している石棺です。国史跡。

向山古墳群
 頂上に広場があり(ここにも古式の箱式石棺があったそうだ)車
 で上っていける。頂上近くの道路沿いの2,4号の石室があるが
 かなり破壊されている。側の林の中に3号墳があり墳丘が良好に
 残っているが石室は見えない。3号が市史跡。

女山古墳群
 女山東側、華西中学校北側の共同墓地内に残っていると言うこと
 だがこの墓地が分からずおかげで山を半周して西側まで行ってし
 まい、こちらの墓地内でとんでもない物を見つけてしまった(^^;)。
 てっきり石室かと思いしっかり掃除をして4枚も写真を撮って
 しまったがどうも構造が変だ、後で地元の方に聞いたら墓掃除を
 する道具を入れておく為に作ったとのことでした _(.・)/ドテ。
 黒山5号の所有者の方から詳しい資料を見せてもらってなんとか
 たどり着くことができたけど仙台からこんなとこまで来ているの
 と少々あきれられてしまった (^^;)。













































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