(21年)
大木崎古墳
 平生町平生町、歴史民俗資料館脇に石室石材が移されています。
 移築ではなく石材が集積されているだけ。入り口は袖石が立って
 いて周辺部は板石で囲われ背面も奥壁っぽくこの石材も本物なん
 でしょうか。全体は2m四方程度でこの石材を使うには小さすぎ
 る感じもする。多分発掘されたんでしょうからその前の様子も写
 真で展示して欲しかった。側にも一見復元古墳がありますがこれ
 も町内で発掘された大木崎古墳や東前寺古墳群(探しに行ったが
 見つからず)の石室を参考に作ったそうです。でも現在は入れず
 覗けず、これでは作った意味がありません。どうせなら余計な墳
 丘を造らず石室を露出させたほうが余程参考になったでしょうに
 ね。金をかけて墳丘を作って場所だけとっています。ここは図書
 館もありますが全体は一応堀川公園になっていて駐車場もありま
 す。

新屋古墳石棺
 大木崎古墳石材の側に新屋古墳出土の箱式石棺が展示されていま
 す。長さ1m程、さすがに大人は入らないだろうな。公園入口案
 内板には石棺蓋としか書かれていない。側板もありますがまさか
 そちらは復元?、そうも思えませんが。因みに案内板の表示、新
 屋古墳と大木崎古墳の位置が逆になっています、どうでもいいで
 すが。

(20年)
神出古墳群
 平生町大野南、5基からなる古墳群です。北側を通る道路に案内
 標識がありそこを曲がるとすぐに説明板があります。ただ古墳自
 体はそこからやや離れている、登り口も10m程離れた場所にあ
 りそこにも案内板がある。そこから50m程登ると3基の古墳1
 −3号がある、番号を書いた標識も立っていてわかりやすい。頂
 部にあるのが3号で低い墳丘が残っているがお墓で少し削られて
 いる。南側に石室一部が露出、説明板には開口と書かれているが
 これで開口と言われてもな。石室自体も少し破壊されているもよ
 う、位置も現墳丘中心部より少しずれているような。すぐ下に2
 号、墳丘はなく玄室後部下部だけが残存しています。更にすぐ下
 に1号、ここも石室下部だけ残存、玄門袖石らしきものも見えて
 います。ただこれも開口と言われてもな。案内板や説明板が揃っ
 ているし1−3号を見るだけなら十分なんですが問題は説明板に
 載っている分布図、4,5号も載っているが方位や現在地が書か
 れてない。普通なら方位が書かれていない時は上部が北と思うけ
 どそうでもない。周りの道路なども描かれていないので4,5号
 の位置がわかりにくい。歩き廻って1基発見、低い墳丘で半分近
 く削られている、石材も露出しているが石室構造がわかる程では
 ない、多分4号。5号は見つからず、少なくとも明瞭な墳丘は無
 かった。ここは案内などが充実しているだけに分布図が残念、最
 低限方位は書いてほしい。町史跡。案内板向かい側に駐車スペー
 スあり。

(06年)
神花山古墳(じんがやま)
 田布施川河口の独立丘陵上に作られた前方後円墳で現在墳丘が復
 元され公園となっています。下の駐車場から上っていくと狭い頂
 部を目一杯使った墳丘が現れてきます。平井町のホームページの
 空中写真で見た印象より意外と小さかった。一部で葺石と埴輪復
 元、墳頂には箱式石棺のレプリカもあります(平生町のホームペー
 ジに載っている写真と大分違う)。ここからは若い女性の人骨一
 体が出土したそうでその女性を復元した巨大な像も建っています。
 これほどの古墳が昭和19年発見とは驚き、戦後骨がアメリカに
 持っていかれそうになったそうだが頭骨だけかろうじて地元に保
 存されたそうな。西側の丘の上にも(当時は島だったそうな)古
 式の前方後円墳阿多田古墳があります。県史跡。

白鳥古墳
 神花山古墳から県道を2.5km程南下すると佐賀小学校の道路
 を挟んだ西側に神社がありそれが白鳥古墳です。全長120m県
 下最大の前方後円墳だが後円部上に社殿があって上部がかなり削
 平されているようだ。北側に伸びる前方部は端の方がだんだん高
 くなる様子が分かるなど保存状態はよさそう。県史跡。













































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