赤穂市
(2000年4月訪問、12年3月再訪))

塚山古墳群00年12年
第T支群28基、第U支群16基、第V支群以下まだ増えそう

【第U支群】少支群(仮称)
UaUbUcUdUe(クリックでジャンプ)

Ua小支群
1号
 横穴式石室、全長8m
_1:正面から、殆ど破壊されている
_2:基部は残るが天井石は最後部の1枚のみ
_3:石室横から
_4:石室後方から、長い窪みが残る
_5:奥壁は何とか残る

2号
_1:谷に向かう斜面に残る墳丘
_2:隙間開口
_3:石室自体は良好に残る

3号
_1:僅かな高まり、石材数個見えるのみ

4号
 横穴式石室、全長5.5m
_1:谷川から見た墳丘
_2:斜面上から見ると墳丘良好、天井石露出
_3:石室正面、入り口埋没
_4:中央辺りで開口
_5:石室後部は良好に残る
_6:露出した天井石

5号
_1:僅かな高まりに石材露出
_2:急斜面に立地
_3:右上から左下方向に石室
_4:石室後方から、天井石が1枚残る

6号
 横穴式石室、全長4m
_1:支群一番奥、墳丘石室とも一番良好
_2:尾根上から、いい雰囲気で残る
_3:斜め下方下から
_4:石室正面下から
  下からだと墳丘の様子がよく分からない
_5:開口部
_6:開口部から見た石室内部
  側壁も持ち送りが殆どない
_7:良好に残る玄室
_8:下がやや埋まっていますが
  四角い石二段重ねの奥壁
_9:奥から外、右片袖かな
  袖石はなさそうだ

Ub小支群
7号
 横穴式石室、全長4m
_1:平坦面に立地、墳丘流失
  手前の石も石室石材でしょうか
_2:分厚い板状の天井石1枚残存
_3:内部は殆ど埋まりトンネル状
_4:横から、僅かに高まりが残る

Uc小支群
8号
_1:すっかり破壊された石室
  石材も細かく割られる
_2:石室正面から
  最後部天井が残る
_3:僅かに残る石室最奥部、左が奥壁

9号
 横穴式石室、全長9m、玄室長6.8m、後室長3,幅1.7,高1.9m
_1:斜面麓辺りに良好に残る墳丘、支群中最大
  右奥に見えているのが12号
_2:石室正面側
_3:開口部正面、前部は上部壊失
_4:一見両袖式のようだが
  玄室に間仕切りを持つ複室構造
_5:後室(縦位置)、天井がフラット
_6:巨石2段積みの奥壁
  上部の方が幅が広い
_7:奥から外、まぐさ石にヒビが入る
_8:前室奥から、入り口辺りが狭まっているようだ
_9:墳丘背後から

10号
 横穴式石室、全長5.6m、玄室長2.6,幅1.8,高1.6m
_1:多少小さくなるもそこそこ残る墳丘
_2:狭い開口部
_3:開口部から見た石室内部
  左側壁がややせり出している
_4:鏡石は2個からなるが上部が円形に
  なるよううまく組み合わせている
_5:奥から外、袖石を立てた右片袖式
_6:墳丘横から

11号
_1:墳丘南側から
_2:上部を失った石室露出
_3:石室奥から

12号
 横穴式石室、全長7.7m、前室長2.3,後室長3,幅1.6,高2m
_1:墳丘東側から
_2:墳丘北側から、非常に良好
_3:上記反対側から
_4:大きく開口
_5:開口部正面
_6:9号と同じく間仕切りを持つ複室構造
_7:床面の石材破片
_8:大型石材を積んだ後室
_9: 〃(縦位置)
_10:巨石2段積みの奥壁
  右上の石材が統一感を崩す
_11:奥から外
  まぐさ石や袖石に扉石をはめ込んだような溝が見えるが
  内側に扉をつけるわけないしな
_12:前室奥から

13号
_1:墳丘北側から
_2:僅かに石材露出するのみ
  左奥が14号

14号
 横穴式石室、全長5.6m以上、後室長2.6,幅1.3,高1.3m
_1:良好に残る墳丘
_2:北側から見ると更に良好な円錐形
  一部に列石が見えているかな
_3:石室正面側から
  羨道はかなり崩壊
_4:天井石が傾く
_5:開口部
_6:9,12号と同じく複室構造だが
  間仕切り石が左側にあるのみ、まぐさ石も無し
_7:後室、奥壁は2段積み
_8:奥から外

Ud小支群
15号
 方墳or多角形墳、L10
_1:支群最奥、墳丘良好に残る
_2:開口部、内部はすっかり埋没
_3:東側から、左が石室正面
_4:墳丘裾に石列、直角に曲がっているかな
_5:墳丘背後から
  墳丘裾を仕切る石材でしょうか

Ue小支群
16号
 横穴式石室、全長6.4m
_1:尾根先端に立地、墳丘流失石室下部残存
  手前に細かく破壊された石材
_2:大型石材を使った玄室
_3:腰石の上に上が尖った鏡石を乗せる
  完全に残っていればさぞかし見事だろうな
_4:斜め後方から、奥壁は意外と薄い
_5:玄室後方から



























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