(旧津屋崎町)
(22年)
須多田古墳群
 福津市須多田、丘陵西側に広がる緩斜面上に分布する前方後円墳
 5、円墳1からなる古墳群で全て国史跡となっています。

須多田ニタ塚古墳
 国道495号沿いに説明板があり簡単な分布図もあります、案内
 板とかは特にありません。事前に衛星写真で見ているとよくある
 畑の中の墳丘だと思っていましたが現地で見ると意外と大きな円
 墳でした。でも国土地理院陰影図で見ると全く見えていない、ミ
 ソ塚や下ノ口古墳は見えているが天降神社古墳も見えていない。
 微妙に等高線に引っかかってないんでしょうか径34m、竪穴石
 室を持ち群中最初に造られた古墳だそうです。2重周溝を持つそ
 うですが耕地整理されている為現状ではその痕跡は全くわかりま
 せん。

須多田ミソ塚古墳
 ニタ塚から東方400mに墳丘が見えています。ほぼ裸の状態で
 すが藪に覆われ上には上がれません、細長そうな墳形だなと分か
 る程度です。墳丘図を見ると南側がだいぶ削られているかもしれ
 ません。

須多田下ノ口古墳
 ミソ塚すぐ北東側にある前方後円墳ですが前方部壊失、後円部も
 上部が半分くらい削られ群中では一番状態が悪い。上に社殿、そ
 の背後の削られた面に平石が1枚転落状態でありました、石室石
 材かな。横穴式石室だそうです。この南側に駐車スペースがあり
 ます。

須多田天降神社古墳
 下ノ口古墳北方100mに天降天神社がありその背後にあります、
 鳥居前に説明板があるようですが見逃した(汗)。墳丘は非常に
 良好、前方部も橋の方が高くなる様子がわかります、後円部頂が
 やや窪んでいますが竪穴石室が中央にあるとしたら盗掘なら外し
 ているかな。南側に周溝、と言っても元の地形を採土の為削った
 跡のようです。後円部南側に祠が並びその一つの屋根が平石で石
 室石材を使ったのかもしれません。説明板や前方後円墳集成では
 古墳名は天降神社古墳となっていますが神社の扁額は天降天神社
 となっています。

須多田上ノ口古墳
 上記神社東方200mにある前方後円墳ですがここが一番わかり
 にくい。集落内の道路を行くと公民館がありその正面の脇道に入
 り更に右に細い道に入ると竹林内に祠があります。その右手側に
 ありますが竹林が密生し倒竹も激しく移動するだけでも困難で写
 真を撮っても何を撮ったのやらさっぱりわかりません。墳形自体
 は割と良好に残っているようです。

剣塚古墳
 これはやや離れた丘陵上にあり須多田地区ではないので須多田の
 名前はついていません。群中最大の前方後円墳で保存状態もよい、
 後円部に比べて前方部が随分長い、上部も平坦面になっています。
 宮崎県の計塚古墳に似た印象を受けました。グーグルマップの衛
 星写真だと墳丘の様子がわかりますが(最初に衛星写真で探そう
 とするとわからないかも)ストリートビューでは樹木の葉が茂っ
 ていて墳丘が見られません。
 ここはナビで案内させようと思いましたが細い道の上にかなり遠
 回りするルート、それでも従っていくと途中最接近した辺りで丘
 の上に登る道がある、ちょうど駐車スペースもあったので車を止
 めてその道を歩いて行きました、農作業用の道のようで行き止ま
 り、仕方なく急斜面を登って尾根の上に登ったら尾根ではなく高
 台、そこにはナビが案内していた道路もありました、それ程狭い
 道でもないじゃないか、近道しようとして余計な時間を喰らいま
 した(汗)。帰り道に小型の古墳を見かけたから良かったけどね、
 陪墳と言うには距離がだいぶ離れています。ミソ塚が別名須多田
 16号となっているのでもっと小型古墳があったんでしょうね。
 古墳が見える辺りの道路で駐車しても特に問題なし。

勝浦峯ノ畑古墳・勝浦井ノ浦古墳
 福津市勝浦、須多田古墳群から国道495号を北上、途中新原・
 奴山古墳群を通り過ぎ更に北上、ゴルフ場西側辺りで国道が尾根
 を越えて峠になっているような場所の両側に2基の前方後円墳が
 あります。西側のが勝浦峯ノ畑古墳(津屋崎41号、勝浦14号
 )、全長97mの前方後円墳ですが後円部は道路で半分くらい削
 られています。古式の横穴石室がありますが埋め戻されてその存
 在は全くわかりません。パッと見て前方部が異常に長い、後円部
 が削られて小さくなっているとは言えやはり長い、2段築成のよ
 うに見えますが周りの平坦面も墳丘の一部なんでしょうか。国土
 地理院陰影図で見ると幅広い下段が見えているから細長い部分は
 上段のようです。
 国道を隔てた東側に勝浦井ノ浦古墳(津屋崎10号、勝浦12号)
 があります。一見して尾根切断型の前方後円墳だとわかります、
 全長70m、後円部は状態がよく3段築成、一部葺石も見られま
 す。前方部は長さはともかく異様なくらい幅が狭い、くびれ部な
 んて2,3mくらいしかないんじゃなかろうかと思う程です、削
 られた様子もなく元々の形でしょうか。峯ノ畑北側50m程に駐
 車スペースあり。

勝浦高原古墳群
 福津市勝浦、溜池の牟田池南側にある古墳群で十数基あるそうで
 すが詳細が分からず取り敢えず行ってみました。国道から東の脇
 道に入り溜池土手下の道を行き丘陵を少し登ると国史跡勝浦高畑
 古墳群の札が立っていました。階段を登ると墓地、その先に古墳
 を思わせる墳丘がありました、西側に伸びるのが前方部でしょう
 か、低平で端が広がらず柄鏡式の前方後円墳のように思えました。
 ここも国史跡の札はあるが説明などは一切なし。更に東側の林に
 入るといきなりすっかり露出した横穴石室がありました、内部は
 埋まっていますがこれは意外でした。更に東側に大きな円墳、最
 初の前方後円墳の後円部より大きそう。3段築成で墳頂部は広く
 平坦、いかにも古式な円墳のようです。ただ「前方後円墳集成」
 によると津屋崎33号が前方部を失った前方後円墳で後円部径4
 6m、高9mとありこれはそれくらいの規模がありそう、これが
 33合でしょうか。取り敢えず見つかったのはこの3基だけ、状
 況が全くわからなかったので3基だけでも十分でした。墓地まで
 車で入っていけるようですが駐車場はなし。

(12年)
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやま)
 福津市勝山、低く突き出た丘陵上に構築された前方後円墳5,方
 墳1,円墳42基からなる古墳群です。丘の標高は10m程度で
 すが周辺からみると一段高くなっていて海も望め古墳群を造るに
 はいかにも適地と言った感じです。国道495号やカントリーエ
 レベーターで2−5号が消滅していますが他はよく残っています。
 最大の22号は神社になっていて林で覆われていますが他はほぼ
 裸の状態で観察も容易です。一番北側の1号は前方部が国道で破
 壊され後円部も半分くらいしか残っていませんが石室らしき石組
 みが露出墳丘裾には多分天井石であろう大きな石が転がっていま
 す。その側の24号も非常に保存状態のいい前方後円墳で緩斜面
 に構築されているせいなのかどうかは分かりませんが後円部下方
 側に外堤が築かれています。1号と24号の間に47,48号が
 ありますが大きな番号が与えられているところをみると大分後に
 なって古墳と認識されたのでしょうか僅かな高まりがある程度で
 す。最大の22号は前方部壊失、帆立貝式のようです。東西にあ
 る20,25号は大型円墳です。側の21号は金網に囲まれてい
 ますがこれは鎌倉中期の石塔(県史跡)が8基あるためのようで
 す。25号東側に前方後円墳の30号、前方部上部がすっかり平
 らになっていますが前方部端は広がってきているようです。この
 南東側には34−43号が直線状に並んでいます。34,36,
 40号など規模の割に背の高い墳丘を持っていて盗掘で石材が散
 乱しているのもあります。これらの古墳列を北側から撮影した場
 所に44,45号があったはず(後から気がついた)でもそれら
 しき墳丘はなかったような。44号で石棚を持つ石室があるそう
 ですが埋め戻したのかな。国道西側に行ってカントリーエレベー
 ター北側には前方後円墳の12号がありこれも背の高い良好な墳
 形を保っています。西に降りていくと唯一の方墳7号があります。
 地形的には群の中で一番下方、大きな墳丘ですが高さはすっかり
 低くなり墳形も円形のように見えます。国道脇に説明板(分布図
 のカントリーエレベータの位置が違っている)がありますが個々
 の古墳にはありません。せめて標柱くらい欲しかった。将来は歴
 史公園にする予定だそうです。一部国史跡。説明板向かい側に旧
 道残存部がありそこに駐車可。

手光波切不動古墳
 福津市手光(てびか)、県道97号光陽台入り口交差点東100
 m、民家の間にあります。住宅街の中にしては大きな墳丘が残っ
 ていて南に開口しています。全長10.8mの石室は7C仕様、
 奥壁天井石だけでなく側壁も板状の巨石で構成され天井石との間
 の高さを調整するような詰め石も全くありません。更に床面も同
 様の板石が敷かれていますが前半部分はセメントで塗りつぶされ
 ています。入り口から入っていくと最奥手前で側壁が一段引っ込
 んでやや幅広くなり更に奥はまた元の幅になっています。前室と
 後室、それとも奥が石槨と言った状態でしょうか。大阪府河南町
 の平石古墳群と構造が似ています。市史跡。
 50m程西側手光バス停側の工務店脇(実際は隣家の敷地内)に
 2号があります。周囲がすっかり削られリンゴの芯状態、石室石
 材が露出内部は埋没していますが埋没していなければ崩壊してい
 ただろうな。車を停める場所がないので交差点西側のスーパー駐
 車場を利用。

小竹石穴古墳
 福津市小竹(おだけ)2丁目、神興小学校北側丘陵斜面にあり近
 くまで行くと案内表示が出ています。尾根先端高まりを利用して
 造られた古墳で前にお堂があり墳丘は大分削られているようだ。
 その脇に石室が開口、単室で羨道はかなり失われていますが玄室
 完存、中に不動明王が祀られています。両袖式のようですが袖部
 は曖昧、天井は奥に向かって少しずつ高くなっているようだ。見
 晴らしのいい場所だけど石材搬入は背後側しかなく(しかも少し
 上り坂)さぞかし苦労しただろうな。お堂下方に駐車スペースあ
 り。













































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